2014/6/22 奈良県選手権大会準決勝 ディアブロッサ奈良対ディアブロッサ高田U-18

D奈良6-1(3-0)D高田U-18(@奈良県フットボールセンター)

 

自分の記憶が間違っていなければ、ユースが出来るという話を自分が初めて聞いたのは2008年の2月、雪の降る中トップチームの練習試合を見に行った時だった思う。立ち上がったばかりのユースは1年目チームとして人数がギリギリ揃うかどうかという人数で、GKもいない状況だったらしい。実際県の新人戦では県内の強豪校相手に大敗を喫していた記録があった事も覚えている。それでも1期生が3年生となった時、あと一歩で県1部リーグ優勝とプリンスリーグ昇格をロスタイムで逃すというところまで成長していた。

 

そして2期生が3年生となった4年目には関西クラブユース選手権で優勝。この時J-GREEN堺まで足を運び初めてのタイトル獲得を見ることが出来たことは良い思い出。全国への切符を賭けたセレッソ戦では1-7と大敗したものの、それでもこの結果は素晴らしいものだった。

 

そして公式戦での直接対決というチャンスがこの年初めて訪れる。奈良県選手権1回戦でユースが奈良産業大学(現奈良学園大学)に勝てば準決勝でトップと当たるという組み合わせになった。しかしこの時は0-6でユースは敗れ、翌年も同じ状況で天理大学に1-4で敗戦。その機会は持ち越しとなっていた。

 

それから2年、今年の奈良県選手権において、トップは5月に社会人代表の切符を手にしていた。準決勝の相手は2種代表。この座をユースが手にすれば遂に直接対決が実現する。決定戦の相手は生駒高校。この試合を4-3で勝利し、ユース発足から7年目のシーズンにして初めての兄弟対決が実現したのであった。

 

天皇杯本戦では過去何度かJのクラブであったと思われるが、これが予選となるとかつてJFL時代の愛媛で実現したことがあるくらいなのではと言われているトップとユースの兄弟対決。トップのスタメンの内下部組織出身者は9人、ユース出身者も2期生だった芝野が名を連ねている。こんな試合が出来る街クラブは多分日本でも数少ないはず。両チームの選手が試合前に整列した時、これまでのことを思い出しつつ、この状況を嬉しく思いながらコールをする自分。チームのコールは相手に対してのコールにもなるという複雑な状況を楽しみながら試合は始まった。

 

試合は狭いエリアを細かく繋ぐユースに対し、フィジカルで勝るトップがサイド広く使って攻める展開。トップは前日のリーグ戦から2日連続の試合ということもあり、流れの中ではユースがチャンスを作る場面も見られる。しかし、フィジカルの差が如実に出るのがセットプレー。樋口の2点と椿本の1点、前半だけで3点を全てセットプレーから奪ったトップが3-0とリードを奪い折り返す。

 

後半に入って早々、ユースの縦突破に対しトップのDF細川雄がエリア内で倒してPK献上。しかしこのPKをGK菊谷が読み切ってストップ。ユースに傾きかけた流れを断ち切ると、山本が高い位置で奪って持ち込みGKの頭を越す綺麗なループで4点目を奪う。

 

このままでは終われないユースも左サイドを三浦が崩し、越智→平井と繋いで中央から綺麗なゴールを奪い1点を返す。しかし反撃もここまで。途中交代で入った芝野と同期のユース出身冨田のクロスから椿本が5点目を奪うと、最後は山本がPKを獲って自分で決めて6-1。記念すべき初めての兄弟対決はトップの勝利で幕を閉じた。

 

試合後フットボールセンターの駐車場をうろうろしていると、ユースの選手の親御さんとトップの選手の親御さんが仲良く談笑している姿が。別の場所では別の親御さんとフォレット(セカンドチーム)の選手が話をしている。皆、ディアブロッサというクラブを通して長い時間をかけて繋がってきた人達。その繋がりこそがクラブの財産なんだと再認識させられた瞬間だった。

 

そして試合を終えた選手達と少し話した後、引き上げてきたユースチームの梶村圭監督へ挨拶に向かった。トップの梶村卓の兄でもあるこの方、現役時代は長年トップのキャプテンを務めた選手でもあった。トップの中塚監督とはチームメイトとして共にバックラインを構成していたこともあり、いわば監督も同じディアブロッサ育ちの2人による同門対決だったのだ。

 

ひとしきり試合の感想などを話した後、監督からこれからもトップで活躍出来るような子を育てていけたらという言葉が。ユースの監督という立場からすれば当たり前のことなのかもしれないが、その言葉が自分には凄く嬉しかった。その場で監督にも伝えたのだが、多分自分が出来る事は彼らが憧れる舞台にトップチームがいられるように、声を出すことだけなんだろう。自分の声なんて大した意味があるのかどうかいまだに分からないが、それがほんの少しでもこのクラブの為になるのなら声を出し続ける。それが自分のやるべきことなんだろう。

 

記念すべき試合はこうして過ぎていった。これからも続くクラブの歴史から考えても、一つの足跡として大きな意味を持つ試合だったことは間違い無いと思う。その場に立ち会い、このような試合が出来るクラブの持つ見えない力を改めて実感出来たこと、それは本当に幸せな時間だった。